半導体スピントロニクス

電子の電荷とスピン自由度を両方活用できる強磁性半導体(ferromagnetic semiconductors, 以下FMSと称す)は、半導体ベースの超高速不揮発性メモリや再構成可能な論理回路、柔軟な情報処理など、従来にない新しい機能をもつ次世代の半導体デバイスの創製が期待できる。FMSは非磁性半導体の一部の原子を磁性原子で置換することにより作製され、既存の半導体技術と極めて高い親和性を持つ。私たちは、これらの構造のエピタキシャル成長、構造評価、電子/光学/磁気/スピン関連の特性、およびこれらを低消費電力電子デバイスへの応用を開発しています。

Fe系強磁性半導体の結晶成長
物性制御およびデバイス応用

過去50年間、情報通信技術(ICT)の開発は、ムーアの法則に従って、半導体集積回路の微細化によって発展されてきました。今日のトランジスタでは、ソースとドレイン電極は数個の原子が整列される距離だけ離れており、その間では量子トンネル効果が顕著になります。これにより、トラ

図1.(a)FeドープIII-V FMSの閃亜鉛鉱結晶構造と(Ga,Fe)Sb, (In,Fe)Asおよび(In,Fe)Sbの透過型電子顕微鏡(TEM)画像。(b)(In,Fe)Sb, (In, Fe)Asおよび(Ga,Fe)SbのFe濃度xの関数としてのキュリー温度(TC)。

従来の半導体工学の限界を打破するために、電子がもつ電荷とスピン自由度を両方活用することを目的としたスピントロニクスが特に有力候補とされており、ここ数十年で固体物理と電子デバイスの開発において最も活発な分野の1つです。既存の電子デバイスにスピン自由度が融合できれば、半導体ベースの超高速不揮発性メモリや再構成可能な論理回路、柔軟な情報処理など、従来にない新しい機能をもつ次世代デバイスの創製が期待できます。

 しかし、半導体を強磁性にすることは非常に困難です。強磁性半導体(ferromagnetic semiconductors, 以下FMSと称す)は非磁性半導体の一部(数%~20%)の原子を磁性原子で置換することにより作製され、半導体技術との高い親和性を持ちます。しかし、ホスト半導体材料の結晶構造と半導体特性を大幅に変更することなく、大量(数パーセント)の磁性元素を添加するという高度な結晶成長技術が必要不可欠です。磁性ドーパントとして、d軌道の電子を持つ遷移金属(Mn、Co、Feなどまたはf軌道の電子を持つ希土類元素(Cs, Euなど)が良く用いられています。これまでの先行研究では、マンガン(Mn)をドープしたIII-V化合物半導体GaAsでかなり成功を収めており、キャリア誘起強磁性やトンネル磁気抵抗効果などの重要な物理現象が実証されています。しかし、実用的なスピントロニクスの実現に向けて、MnベースのFMSには重大な欠点があります:(1)キュリー温度(TC)が室温(200 K以下)よりもはるかに低い。 (2)Mnドーパントは優れたアクセプターとして機能するため、P型FMSのみが作製可能です。現在のほとんどの電子デバイスがPN接合構造からなっているために、N型FMSの欠如が大きな問題でした。 MnベースのFMSの問題点を根本的に解決できる新しいFMS材料の開発は、私たちを含む世界中の多くの研究グループによって長い間追求されてきた聖杯でした。

 

Feドープ狭ギャップ強磁性半導体

このような状況の中で、2010年から、我々が(In,Fe)As, (Ga,Fe)Sb, (Al,Fe)Sb および(In,Fe)Sbを含む新規 Feドープ狭ギャップIII-V 強磁性半導体の開発に焦点を当てました。FeはMnと違って、電気的中性である(つまり、電子も正孔も供給しない)Fe3 +状態でIII族元素を置き換えることができます。これによって、伝導タイプ(NまたはP)をFeと独立して制御できること、半導体結晶構造の安定性を維持しながら、より多くの磁性元素をドープできることが期待されました。しかし、従来の常識では、InAsやInSbのような バンドギャップが狭い半導体では高いTCは起こりそうにないと考えられました[T. Dietl et al、Science 287、1019(2000)]。驚くべきことに、Feドープ狭ギャップ半導体ではP型とN型の両方の材料が作製できるのみならず、室温で強磁性を実現できることが実験で明らかになりました。従って、我々が開発したFeドープ狭ギャップFMSは既存のFMSの問題点をすべて解決し、多くの新しい機能性を持つことを明らかにして、スピントロニクスと強磁性半導体の研究に新しい展開(強磁性半導体スピントロニクスにおける”ルネサンス”)をもたらしてこの分野で世界をリードしています。主な研究成果を以下に述べます。   

  • P型とN型両方の強磁性半導体(FMS)作製を可能に:Feドープ狭ギャップFMSではキャリア特性はFeと独立に制御可能なことを実証し、従来不可能であったN型の電子誘起強磁性半導体 (In,Fe)As [APL 101, 182403 (2012); APL 101, 252410 (2012)]と(In,Fe)Sb [APEX 11 (6), 063005 (2018)]の作製に成功しました。一方P型FMS(Ga,Fe)Sb [APL 105, 132402 (2014); PRB 92, 144403 (2015)]と(Al,Fe)Sb [APL 107, 232405 (2015)]の作製にも成功した。これらのN型とP型のFMSは格子定数が近く、様々な高品質の強磁性半導体ヘテロ構造の作製にも成功しました。

  • 室温強磁性の実現:Fe添加狭ギャップFMSでは、理論予測を覆すほど強い交換相互作用を示し [APL 101, 252410 (2012); APL 104, 042404 (2014), Nature Communications 7, 13810 (2016)]、P型FMS (Ga,Fe)SbではFe濃度が23%以上、N型FMS (In,Fe)SbではFe濃度が16%以上の試料で、III-V族FMSで初めて強磁性転移温度(キュリー温度)TCが室温 (300 K) を超えることを示しました [APEX 11, 063005 (2018); APL 108, 192401 (2016), Featured Articles, Editor’s Pickに選ばれた]

  • 伝導帯の巨大自発スピン分裂を発見: (In,Fe)Asの伝導帯では巨大自発スピン分裂(30 – 50 meV)を明瞭に観測した [Nature Communications 7, 13810 (2016)]。伝導帯に自発的スピン分裂が観測されたのはFMSで初めてである。また、強磁性半導体のスピン分裂を利用したスピン・エサキダイオードを作製し、スピン依存バンドエンジニアリング用いた磁気伝導度の制御を示しました[Appl. Phys. Lett. 112, 102402 (2018)、 Featured Articleに選ばれた]

  • 波動関数工学による超低消費電力での磁性変調の実証:(In,Fe)As量子井戸をチャネルとする電界効果トランジスタ(FET)を作製し、波動関数を電気的に制御することより従来のキャリア濃度制御法に比べて10^-6倍も低い消費電力で磁性変調できることを初めて実証しました[APL 104、046404(2014); PRB 92,161201(R) (2015)]。この革新的な方法によって、磁化制御時間をピコ秒未満に大幅に短縮することが期待され、高速および低電力のスピン電子デバイスと超高速スピンダイナミクスの研究に重要と考えられます。

従来のFMSの研究では、狭ギャップ半導体では高温強磁性が実現できないと考えられていました。しかし、候補者の研究でFeドープFMSでは禁制帯幅が狭い(狭ギャップ)になる程高いTCが得られるという驚くべき傾向を実験的に示しました。さらにに一連の実験結果から、Feの不純物帯が母材半導体のバンド構造との共鳴的な位置関係を持つことが高温強磁性の要因であるとする「共鳴バンドモデル」(図2)を提案し、半導体の磁気物性理論における新しい知見および高温FMSへの新しいアプローチを示しました[APL, 104, 046404 (2014), APEX 11, 063005 (2018), PR Applied 15, 064019 (2021)]

FMS mechanism.jpg
図2. さまざまな半導体のバンドラインナップ(Van de Wall et al., Nature 423, 626 (2003)のデータを参考した)とFe不純物帯(IB、緑の線)の相対的な位置関係とFeドープFMSの磁性。Fe IBの位置は真空準位とのエネルギー差が異なる半導体で変化しないと仮定して推定してもの。強い強磁性は、Fe IBが伝導帯の下部[N型(In,Fe)As, (In,Fe)Sb]または価電子帯の上部[P型(Ga,Fe)Sb, (Al,Fe)Sb, GeFe)の近くに位置することが分かる。
強磁性のメカニズムに加えて、材料工学の側面に関する詳細な理解もスピンデバイス応用にとって重要です。 FeベースのFMSの磁化の自発的な方向を決定する重要な特性である磁気異方性は、Fe濃度[PRB 99, 014431 (2019) ; APEX 12(10), 103004 (2019)]、膜厚[PR Mater. 3, 084417 (2019)]、および温度[JAP 127, 023904 (2020)]など、いくつかのパラメータによって制御できることを示しました。これらの条件を最適化した結果、(Ga,Fe)Sb / InAs / (Ga,Fe)Sb三層構造において世界で初めてスピンバルブ効果(〜2%)を実現できました[APL 117, pp.092402/1-5 (2020)]。これらの成果は、Feドープ狭ギャップFMSを用いてスピン電子デバイスを開発するために重要なマイルストーンをなり遂げました。

新しいアプローチ:磁性元素ドーピングを要しない強磁性半導体の実現

一方、多くの不純物をドープする必要性なしに、強磁性を高品質の半導体チャネルに導入できることは非常に興味深いことです。私たちは磁気近接効果 (Magnetic Proximity Effect – MPE)を活用することに注目しました。

  MPEは、磁気的に異なる材料の界面での磁気相互作用です。磁石を磁性材料に近づける時後者は前者からの漂遊磁場によって磁化されると同じです。ただし、ナノスケールのヘテロ界面では、この結合は軌道混成または直接磁気双極子相互作用を介して原子スケールで発生します。ただし、一般的な場合においてこの相互作用には非常に高品質の界面が必要であり、ヘテロ界面から数原子層にのみ有効です。これらの特徴はゲート電圧などの外部手段によるMPEの制御および実際のデバイス応用を妨げます。

上記の問題を解決するために、我々は半導体量子井戸/Feドープ強磁性半導体のヘテロ接合を考案しました。分子線エピタキシャル成長技術を用いれば非常に高品質の界面が成長できます(図3a)。半導体量子井戸の2次元電子キャリアは高いコヒーレンス性を持つことより、界面で起こる磁気交換相互作用の効果が全2次元電子系に伝わり、長距離のMPEが実現できるという発想です。

  実際、強磁性半導体(Ga,Fe)Sbと非磁性半導体InAsからなる二層構造を作製し、隣接するFMSからの非磁性InAsチャネルに非常に長距離の磁気近接効果(〜40 nm)が引き起こされることを観察しました。この結果、非磁性材料(InAs)において新しい巨大磁気抵抗効果(抵抗変化率~80%、Proximity Magnetoresistance (PMR) 近接磁気抵抗効果と命名)を観測しました。また、ゲート電圧によって非磁性のInAsのスピン分裂をゼロ磁場で引き起こし、その大きさを20倍変調することに成功しました [図3, Nature Physics 15, 1134 (2019)]。この成果は高電子移動度をもつ半導体チャネルに磁性不純物を添加しなくても強磁性を持たせる全く新しい作製法を示しただけでなく、高感度磁気センサや新型スピントランジスタへの応用、大規模化可能なトポロジカル量子演算への応用が期待されます。

PMR2.jpg
図3. (a)InAs/(Ga,Fe)Sbヘテロ構造からなるデバイスと電子顕微鏡(TEM)による格子像。電流を担う電子の波動関数は、InAs層中に存在し2次元電子となるが、量子力学的な効果により隣接する(Ga,Fe)Sb強磁性層にも一部が空間的に浸み出す(黄色い破線部分)。この電子の波動関数の(Ga,Fe)Sb側への浸み出しによって、電流と磁化の結合が生じ、結果として磁場を印加したときに巨大磁気抵抗効果が得られる。また、外部からのゲート電圧Vgによって波動関数の位置を制御できるので、この結合を電気的な手段で制御することが可能であり、Vgによって磁気抵抗効果の大きさが変調される。この結果は、磁性を持たない非磁性半導体中に、電圧を印加するという電気的な手段により磁気的な性質を付与できることを示す。(b)このデバイスで観測した巨大近接磁気抵抗効果。磁場を膜面に垂直方向にかけると磁気抵抗が大きく、InAs中の2次元電子伝導を特徴づける量子振動(シュブニコフ・ド・ハース振動)も見られる。

今後の展望

FeドープFMSと半導体スピントロニクスの未来は?この質問には多くの答えがあるはずです。すぐ目の前にあるものもあれば、まだ深く隠れていて発掘されるのを待っているものもあります。

  上記のすべての結果から、Feドープ狭ギャップFMSは、半導体スピントロニクスを実現するための最も有望な材料系の一つであるだけでなく、多機能量子エレクトロニクスの将来のための革新的なプラットフォームでもあると期待できます。この新しいFMS材料系の可能性を最大限に引き出すために、私たちはこれらの材料構造のエピタキシャル成長、構造評価、電子/光学/磁気/スピン関連の特性の創製と制御を行い、電子デバイスへの応用を目指して研究しています。

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